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  • 2016.05.05 Thursday
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一年経って回復鮮明な妻


 昨年のゴールデンウィーク屋内外でこけケガをしてから、身体のフラつきもありプチ不自由(我が家用語)に陥っていた
 ここんところ回復鮮明で、

・一人で入浴
 同、寝起きのトイレ
・洗濯物干し
・工程の長い料理
・トイレットペーパー交換
・コーヒーを淹れる
・ドライヤーのコンセントをさして抜く
・ゴミまとめ
・床掃除

 等々、取組み、苦労しながらも結果的に問題なくこなしてくれています。

 幸か不幸か、仕事を抱えた私に「可哀想だから全部やってあげる」余裕がなく(少なくとも長期的には)、むろんメイドがいるわけでもなく、その必要性から彼女は家庭で具体的に手を動かす世界へと帰還を果たしてくれました。クラッシュで引退する替わりに。

 一年経ってこうなる・・との予測はなく、ただ一日一日を生き抜いたらある時ストンと視界が晴れた。そんな印象です。

 見えない、知らなくていいシナリオあり。素直に二人で進みました。
 これからも同様なのでしょう。

 タクシー乗務の仕事に私がいくらか慣れてきた事もあり、昨年よりは楽で穏やかな月日になるだろう・・
 漠然とイメージしていますが ^^

 未知を受け容れ、手をつなぎ、今この瞬間を生きてゆく。
 ゴールデンウィークから始まった黄金の日々。 単純な事を学んだ一年でした。

5月の多摩川

【妻のブログエントリー】
可塑性。 (2016/4/11)
「またできるようになります」 (2016/4/6)

 

エネルギーの出所


 今、史上最大のパワフルな自分でいます。
 
 平日の起床は1:30am。
 夕食の席につきお酒を口にするまで、何事かをやり続けている。
 仕事・家事・妻の介助。いくらかの創作活動
 頑張っているというより何かの流れに乗っている感じ。
 to Doメニューとそれに必要なエネルギーを毎瞬同時に受け取っている。
 なので、燃え尽き症候群とは無縁。「頑張って」はいないから。

 とひとつになれた感じが根底にあります。
 1+1=無限大
 Simpleな宇宙の公式、つまり魔法が日常のそこらここらに満ちてる。

 入籍、その後の遠回りの中再び彼女を東京の我が家へ(入院先から)お招きする。といった経過がなければ、まったく違う、切り離されて非力な自分がいたんだろうなあ。
 それは有り得なかったことなんだけど。

 ここらあたりは、今回の転生の肝として予めしっかり決まっていたfeelingがしかとあります。
 越えないと面白くない峠として。
 峠の先に広がる光景。すなわち今見ているもの。

 利用ガイダンス付きエネルギーの出所は運命。
 夫婦がひとつになる。
 単純ちゃあ単純ですよね。

 この平坦な一本道を、まだ魂の故郷にいる頃敷きました。
 そのことを一旦忘れた私と妻が無為にして歩んできた。
 後からなら分かります。
 場面場面ではとても複雑な道、しかも悪路で難路に感じられたのですが。

 今はただ元気。パワフル。
 自我(エゴ)は随分縮小退行した印象。なくなってはいないとしても。

 あくまでこの瞬間。
 利用ガイダンス付きエネルギーを受け取り使う。
 夫婦二人、楽しく過ごす。あれこれ(難事が)あるようでいて乗り切ってゆく。

 私も妻も今、自分が開いた状態です。
 表面意識たる自我には当座逆に見えても、すべてが大いなる善に満ちたもの。

 Made by私達ではありますが運命に感謝☆
 どんどん更新されてゆくこの手元エネルギーが根拠です。

栃の花

【妻のブログエントリー】
介助するダーリン。(2016/2/16)
 

恩寵に満ちた暮らし


 午前4時、妻を起こす。私のパソコンタイムはそこで終わり。以降は二人の朝をまわしてゆく事に専念。
 彼女のトイレ・着替えをサポート。そして先ず軽食(フルーツ・チーズ)とアイスコーヒーを用意する。目の前のテレビにはYou Tubeの可愛い猫動画が流れるようにして、萌えをトリガーにお目覚めを促す。
 5時過ぎから食事に入り、片付け、夕食用の炊飯器セット。合間をぬってスーツに着替え、妻とマンションの半屋上へ。
 ここでよくお喋りをするかな。スピリチュアルな事+日々の具体的な事。眼下にはちょっとした森が広がっており、緑が目にしみます。
 そして5:45、自分&妻のLunch用に握ったオニギリの前者を持ち私は仕事へ出発。お互いの無事を祈り合う。夕方笑顔で再会できますようにと。

 3月末に退院した妻。
 身体の機能回復が進んで、もっと家事をやっていただくイメージだったかな。二人とも。
 実際には幾分逆に進んで、私は夜勤を諦める事に。(それでちゃんと稼げるか心配だったのですが、杞憂に終っています。)

 現在は、彼女の状態が安定していることに合わせ精神医薬の処方が減り、副作用である身体のふらつきetcも「薄皮を剥ぐように(最近のキーワード)」改善中。
 家事のシェアを増やしたい彼女の望みもstep by stepでといったところ。
 例えば洗濯物の取り込みをして貰えるだけで、(帰宅後その仕事が残っていないので)私としては劇的に助かります。

 夕方、職場から戻り、買物・炊事・洗濯・食事。一緒に入浴。彼女の髪を洗う。
 2時起きの身にはちょっと遅めなのですが、19時半頃二人で床につきます。

 彼女がまだ故郷で入院中〜私の再就職以前は実に怠惰、エネルギーが枯渇したような暮らしを一人していたのですが、今は真逆。
 成す事に囲まれながら、川下りのように一日一日を進んでいっています。
「不思議と生活が回っているねえ」が二人の合言葉。

 妻はその存在によって、私を必要なだけ動ける者にしてくれています。
 春先以前の暮らしがあるだけに、その対比で分かる。【エネルギーの魔法】がはたらいていると。

 5月頭に妻は、屋外の転倒で外傷を負い・屋内の転倒でムチ打ち(共に全治一ヶ月余)になりました。
 どうなるんだろうと思っていたのですが、現在があります。
 二人楽しく暮らせている。お互い精神の【変容】を体験しながら。
 静かな、自分によりつながった自分に自然変わってゆくダイナミズムを感じながら。

 一見「なんてこったい!」という出来事が続いたのですが、深い意味で人生は完璧。
 恩寵の毎日だと感じています。


【関連】※妻のブログ
氷班、お願いね。(2015/7/29)
退院の日以来の、カラオケ。(2015/7/25)

no flower no life
 

それぞれ順応の春


 お薬が効いて心が軌道をはずれることはなくなった退院後の妻は、今「身体が思った通り動いてくれない」「生活のあれやこれやが不自由」という新たな現実に向かい合っています。
 寝起きトイレに辿り着く、その前に二本足で立つことがひと苦労だったり、着替えに膨大な時間を要したり、包丁で野菜を切る際指先にうまく力が込められなかったり。寝床に入るという一見単純な動作が自分でよく分からなくなってしまったり。

「もどかしいでしょ」
「うん」

 何の不自由もなかった時代と比べてしまうのが人情。思わず腐ってしまうのも。

 それでも、心がけて散歩に出る。ついでに簡単な買物を済ませる。
 機能回復の道を進んでおられると感じます。

 一方私は、アラフィフの再就職。
 各所に出向き職業訓練を受ける・ペーパー&実技テストの壁をいくつか突破するetcの直近一ヶ月でした。

 夫婦それぞれに順応の春。

 私が家を空けるようになったので、連携プレイを工夫しながら衣食住をまわしていくこともまたチャレンジ。
「困難」と思わなければ何とかなってゆくものです。

 昨秋、降圧剤など必要な薬を呑まないで家を飛び出すことが続き「我が妻は死んでしまうつもりなのか」と思っていた時期と比べると、ご縁があって自分がアッサリ再就職できるとは予想もしていなかった段階と比較すると、お正月明け入院先の保護室で妻と面会した際の様子と比べると、確かに困難でも何でもありません。
「“問題事”もハイヤーセルフに任せきれば上手くゆく。何の心配も要らない」です。

 人生を信頼する気持ちが劇的に深まりました。
 するとよろずサラっと次の局面へ進める。この世体験を一つ重ねただけ‥と知る。

 順応のこの春自体が思い出になるのでしょう。

 夫婦力を合わせる現在のリアリティーを大切にしてゆきます。

乙女椿
 

人生を信頼


 妻の退院日が、無事終わりました。
 お薬と紹介状を貰い、ケースワーカーさん・看護師さん・病室のお仲間らに別れを告げ、新幹線で二人東京へ。
 車窓の新緑(春の芽吹き)が印象的。

 何回も階段を経由する東京駅での乗り換えが、妻にはタフだったようです。
 統合失調症のお薬には基本フラつく副作用があり、処方量が多かった期間は病院内のわずかの移動にも苦労していた彼女だから。
 東京への移動に車椅子が要らなかっただけでも、(そのめぐりあわせ・タイミングに対し)天へ感謝する気持ちです。

 妻がまず外の世界に求めるもの、餃子とカラオケを地元の駅前に戻ってエンジョイ。
 三ヶ月半ぶりの自由を彼女がどう感じているのか、想像をふくらませながら。

 夜半、彼女が順調に寝息を立てていることに安心。至福。
 昨夏、内科要因含む複合的な異変(脳内出血につながる高血圧・不眠)が始まるまで、フワついていたパートナー(私)には理解できなかった確かな幸福の足場。
「今日、二人が存在できていること」

 一緒に人生を楽しむ機会を、医学の力により再び与えられた私達です。
 本日の課題は、退院処方のお薬を「寝起き」「朝」「昼」「夕食前」「夕」「就寝前」の六つに分類し、買い求めたタッパーにそれぞれ詰めること。
 昨秋、脳外科を退院した折の同様の作業は私一人が担当し、飲んでいただくにも苦労しましたが、今はコツコツ当り前のことに取り組む彼女のパーソナリティーが甦っており、随分違った展開となりそうです。
 そう、まるで春が戻ってきたように。
 スズランスイセン・ときわ万作・レンギョウ・シャガ・こぶし。一緒に昨年名前を憶えた花達とともに。

 遠回りをしながら、自分達がシンプルに当り前になっていってる印象。
 内側深い部分から来るエクスタシーをともなって。

 完全なシナリオの存在を感じます。
 忠実に辿っている私達なのでしょう。
 無軌道に見えながら。ドキドキしながら。

 人生を信頼。
 創り手である魂を信頼。
 寝起きの時間帯、わが胸に宿ったエネルギーです。「一瞬先は何もわからない」という特典付きで☆

no flower no life
 

妻への侘び状


 妻の退院が決まりました。
 彼女の故郷を訪ね、妻・主治医・担当の看護師さん・ケースワーカーさんと面談。今月末、退院とともに東京へ移動し同居再開するプランが組み上がりました。
「医学的な奇跡を見る思いです」
 主治医へ率直な感想を伝えると、「私もそう思うんですよ。病院のスタッフも」とのこと。
 妻は、意識鮮明で感情安定。自分を客観視する力を取り戻していました。
「急性状態が終わると、元からあった精神性が表へあらわれます」という医学的な説明に納得。
 7ヶ月ぶりになるでしょうか。彼女の真水部分に触れながらゆっくりお喋りを楽しみました。

 夜の新幹線で単身東京へ戻り、昨日はこちらでの通院の段取り。新しい勤め先(私の)とのスケジュール調整。
 そして今朝、妻への手紙を書きポストへ投函しました。
 内容は、彼女に苦労をかけたことへのお詫び。
 急性状態そのものが、私のあり方次第ではなかったかもしれないから。いっとき厳しい状態になっても、もう少し短いプロセスで復調する事も可能だったと思うから。

 統合失調症は、時代・国を問わず100人に1人が(思春期等に)発症。私は、疑問も持たず99人側の視点でパートナーのあり方を「評価」していました。
 戸惑い怒り、文句を言っていました。感情を交えながら。
 妻は単に苦しいんだということを理解せず包み込みもしないままに。
 ちゃんと手をさしのべないどころか追い込んでしまったがゆえの7ヶ月間。多様な混乱あり。起伏あり。

 私は「支援者」にあたるそうです。
 主治医は「支援者の支援」といった言葉も使われていました。
 99人側の認識を更新してゆく・・という意味です。
 更新するほど、自覚のないまま患者を苦しめていく構図を知る。支援者が変容する。激しい感情がしりぞく。
 すると、入れ替わりで侘びの思いが浮上。

 今朝は、書面にする段階でした。エネルギーが寝床からテーブルへ導き便箋を取り出す。
 大変な苦労をかけてしまったな。
 秋口、私の加害性を随分指摘されたのですが、その意味を今は理解するようになりました・・と伝えました。
 世間順応のため長年思考ばかりを膨らませ私の中で当り前の感性が育っておらず、あのざまでした。ご免なさい。

 ウヤムヤにする手はないですよね。
 再同居を選んでくれた妻にしたためました。

 私は、「時代・国を問わず100人に1人」に神の意志を感じます。
 一般に99人側はそれだけかたくなだから。言動という肉眼で見えるものを常識モノサシで評価し終わりがちだから。時間をかけて、患者は単に苦しいという事を学ぶから。

 妻の魂がその役を買って出てくれたことに不思議さを感じます。
 縁なのでしょう。
 双方タイミングを合わせ今回の転生を始める、ずうっと以前からの。

 ゆえに密度の濃いドラマが始まる。
 認識に変容が起きると「ああ広いところへ出た」と至福を味わえるドラマが。

 妻のもとへ、週明け手紙が届きます。
 

妻からみなさんへ


お久しぶりです。みなさんお元気でしたか? 私はあいかわらず元気です。
星の合図はまだあるよ、と聞いて、今回はスピさんのブログに代理UPしてもらいます。
尚、星の合図は消したりしません。宣言いたします。 と申すのも、自力では無理ではないのかな、と思い至りました。縁(えにし)みたいなものです。きっと。


『あきらめたがるのなら』 思惟

それでも君がすべてをあきらめ 倒すのなら
僕に甘えないでくれ
色にも染めないでほしい
曲も聴かせず本も経典も要らないので
放っておいてくれ
まったく君ひとりで完結しておいで
お別れと似ているね 生き別れのように
もともとそういう表情が匂っていたね
僕を巻きこまないでおくれ
どうかどうかお願いだから
僕を その中から大切にとりのぞいて
生きている世界へと繊細に置いてくれ
頼む 僕に愛に似せた言葉などはかせないでおくれ


詩はどうしても銀色夏生さん風になってしまうのですが、ちがうのですよ---
うまく言えないのですが、違うとはっきり申し上げます。
ということで
私らしい世界も上げておきます。(エアリィなのを)


『空気感』

しゃぼんだまにふきこむ しあわせ
きれいないきとのぞみをつめて
とばすあおいあおいそらへ

きみはなにを つめたいかな?
「つめたいモノ」なんておかしなだじゃれはよしてよね
なないろのはだをして うかぶ しゃぼんだまには
ようせいみたいなエアリィなのがにあう
 

自らの鏡であることを忘れる、迫真のリアリティー


 彼女は私がどういう人間か教えてくれる存在。
「鏡」として振舞ってくれる事によって。

 物理的な距離が離れている今、素直にそう思います。
 一挙手一頭足を思い出し、それらを特に評価するでもなくただ意識の中をころがしていると、「なんとこれは俺ではないか!」と思う。
 時間はかかりますけどね。
 今は、時間があるから。

 たとえば、カッカしいのところ。
 楽しさを優先させるところ。
 他罰的なところ。
 言葉を使って情況を切り開こうとするところ。
 集中力を発揮するところ。

 ・・・無限だなあ。

 ただ、本人を目の前にしそのエネルギーを受けとめていると、私は「評価」を始めてしまう。よい・よくないと。
 迫真のリアリティーに、こちらの意識が共振動するから。
 鎮まった状態の反対。
「自分の投影だ」と思う冷静さは、、僅かです。

 縁の不思議さを思う。
 彼女が現れなければ、もっと自分について無知だったはずだから。
 そんな眠ったような生き方ツマンナイ。

 これほど私の幸せに貢献してくれている存在に、評価は無用なんでしょうね。
 それより、共振動している自分の内側観察にエネルギーを投じたい。

 まだ、自分自身をよい・よくないとジャッジする怯えた心が私の中にあります。
 そこを迫真のリアリティーが突くのでしょうね。
 構図が見えてきました。

 眠ったような生き方を終えたいと思います。
 と願えるのはわが妻のお陰。


 今しがた、入院先の彼女から電話がありました。
 胸の中に起った変化をジッと観察しています。

no flower no life

 

責め合ってしまう理由と処方箋 (by内観)


 愛し合い結ばれた二人が、互いに責め合う。
 後々悲劇と痛感しても涙しても、渦中では、一直線に責めネルギーを発散。
 あの「迷いのなさ」は何だろう。

 心の中に生存の恐怖あり。
「相手らしさを野放しにしておけない」といった思い。
 パートナーの振舞い・言葉に内側がエグリ取られ、緊急措置を欲する。
 自らを回復させるため責める、咎める。

 理性の制御が及ばない瞬間的な反応。
 その元を辿ると「自分は傷つけられる存在」という認識あり。
 なぜかいつのまにか自らの中心に植えつけられた認識。

 同じ傷を持った二人だと気づく。
 性格・育ち・社会経験が異なっていても、目に見えないダメージは似通ってる。
『自然な自分を否定されてきた』という部分。

 親からされた事を、自分も他者にしてしまう。
 相手が大事なパートナーであっても。
 親もまた同じダメージを受け育ってきた・・と先祖からつながるリレーの構図が見えてくる。

 平安を欲して責める、咎める。
 その手には槍がある。

 自然なまま振舞う存在が怖いから。見ていると痛いから。

 みんなみんな癒される必要があるみたいだね。
 私も妻も。親もそのまた親も。
 手負い同士怖れ合い傷つけ合うかわりに。

 ほんとうはあるがままで問題ない。
 自分のあるがままも、目の前にいる人間のあるがままも。
 恐怖感を解放することが処方箋。
 同時に、槍を手放す。
 私は大丈夫だから。
 あなたも、そのままで。

 意識は怖れにたやすくジャックされる。
 でもヒトはわが怖れを観ることができる。 
 ハグし、その痛み混乱したエネルギーを癒してあげることも。
「目に見えないパワーだけどここに在る」と認識することによって。

 動物的反応は本意にあらず。
 願いはパートナーと尊重し合ってゆくこと。
 ゆえに繰り返し意識をWatch。
 傷を見つけ出すたびハグ。

 わがエネルギーの行末に、責任を持ちます。
 先ずその前に、長年放っておいた事をお詫びしなきゃね。

no flower no life

 

『健やかなる時も病める時も』と、目に見えない精神病の関係


「病めるパートナーを助けたい」
 自然な感情ですね。
 結婚式の際、牧師さんから「健やかなる時も病める時も」と言われれば、素直に「はい」と思う。
 
 精神病以外は、病める者と助ける者の関係が明瞭。
 タフな支援となっても、その入口・動機の部分で悩み混乱することはなし。
 私と妻の関係ですと、ある日昼食中に彼女が発作を起こし救急車で脳外科へ。軽度の脳内出血で済み、二週間で退院。このプロセスは一直線でした。
 反対に、この入院を挟んだ期間、今から思えば統合失調症が次第に「急性」の段階へ進んでいた折、基本的に私は怒るか当惑するか我慢していました。
 それまで普通にパートナーとして接し、つまり人格を100%認めてきた相手なので、「病気が言わせたセリフ」と切り離して理解できず真に受けてしまう。そして「そりゃないな」と思う。反撃もする。
 今でも、「ここまでは二人のパーソナリティー&日頃の二人の関係由来/ここからは病気」と線引きすることは不可能だと感じています。
 調子が落ちて今までなら問題なく呑み込んでいた不満を不穏に表現してしまうetc、重なっているゾーンもある。
 彼女の主治医によると、「統合失調症の原因は結局分からない。色々な要素が絡んでいるところまでは分かってる。もちろんパーソナリティーも」とのこと。
 線引きは諦めた方がよさそうです。

 でもね、パートナーとしてはやはり使う頭が違う。
 病気なら、冷静な医学的理解ベース。二人のパーソナリティー&日頃の二人の関係由来なら、心の柔らかい(時にHOTな)部分を使う。
 両者を一つの方程式へ組み込む難しさを感じています。

 矛盾はしないのカナ。
「相手を尊重する」で大きくくくれるから。

 支援者と被支援者だったり、対等のパートナーだったり。
 可視的な関係性は変わるけれど、本質的関係性はおそらく同じ。尊重や愛。


「対等」の部分では喧嘩もする。
 病気によるものなら是非もなし。(相手が一番苦しいのだから)
 やがては後者の対し方へ一本化。
 そんな予感がします。

 人の振舞いは本来是非もないもの、と思うから。
 裁くモノサシは世の中/自分の中に数々あれど。
 善悪それ自体、幻。

 人は、時代ごと地域・国ごと集団ごと偏見を持ちますね。
 それを「常識」と呼ぶのだと思います。
 ・・ここまでは腑に落ちてる。
 でも、実際に病気が言わせた(と後から分かる)他罰的な言動に接すると、腹が立ち、常識で本能的に武装する。
「善悪は幻」を我が身の現実に落とし込む部分で苦しむ。
 それは私が“常識という名の偏見”に毒され頼っているから。
 尊重や愛より大事であるかに勘違いしているから。
 恐怖感のあまり激しく反撃もしてしまったな。突き放しもした。非難もした。

 健やかなる時も病める時も統合失調症患者を支援する。安定的に。
 その必須条件は、これまで身を護る武具や杖のように扱ってきたモノサシや常識をググっと脇へ追いやる事なのでしょう。紐付いているエゴ(本当は機能していない保身欲)もね!

 人は時代ごと集団ごと偏見を持つので、どんな国でもいつの時代も100人に1人天は統合失調症で苦しむ者を置き、残る99人の目覚めを促している。
「壁を越えてゆきなさい」。
 そう言われている気がします。

 天の采配だとした場合、妻は「本質的に公平じゃん」と感じてくれるのかな。支援する者と支援される者とが。
 相互に助け合う関係だから。

 現に私は既に救われ始めています。

 同じ未熟さを繰り返したくないと今日も思っているから。

no flower no life


【関連エントリー】
受忍限度を越え、相手が「敵」に見えてくる (2015/1/04)
有条件の愛から無条件の愛へ (2014/10/16)

 


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